2011年07月07日
交通マナーに考える。
長男君の自転車登下校につきあうようになって早3ヶ月。
高校生時代の3年間+会社勤めの数年間、
何の不自由を感じることもなく自転車を足としていた私ですが、
子どもに自転車に必要な交通ルールを教えるとなると、
判断に窮する場面に多々出くわします。
その一番の障壁は交通マナーの悪さ。
もちろん、ほとんどの方が交通規則をきちんと守った上で、
さらに相手側の行動を予測しての
譲り合いや思いやりのマナーを心得ている人ばかりなのですが、
時に思いがけない行動に、こちらも判断に迷ってしまうのです。
他人の心の動きを推測する能力(心の理論とも言います)が極端に低いという特徴を持つ自閉症。
その自閉症の彼が今まで上手に相手の行動を判断し、世間と渡り合ってこれたのは、
ルールと習慣を覚え、それに従ってきたからです。
なのに、交通マナーにおいて、
その土台となるはずのルールを守らない人が少なからずいる現実をどう教えればいいのか、
人それぞれに違う、どれほどの量のパターンを覚えさせればいいのか、思案し続ける毎日です。
毎日のように目にするルール違反。
赤に信号が変わってしまったのに,無理矢理突っ込んできたり、
ウィンカーも出さずに突然曲がったり・・・
間違いなく道路交通法を犯しているこれらのケースは論外としても、
直進車や歩行者・自転車などの優先順位を守らないドライバー。
傘を差してふらふら走行する自転車。
道路を横に広がり道をふさぐ歩行者。
駐車場からバックでいきなり歩道に飛び出す車等々・・・
法律はたくさんの人々が同じ自治体で暮らすための必要最低限のマナーです。
しかし、皆が気持ちよく過ごすためには法律を守っていればそれでよいというわけではなく、
法律の外枠にさらに大きなマナーがあるように思います。
日常生活で思いやり・譲り合いの気持ちを忘れない人は
交通マナーでも同じように相手に心地よさを感じさせる人だと思うし、
また、逆に、交通マナーを守る人は、日常生活でもマナーに気を遣い、
スマートに人間関係を進めている人なのではないでしょうか。
たとえば大きな道から脇道に入ろうとする場合、脇道から出てくる車を先に通すのがマナー。
それを習慣としてしている人は
おそらく教室や職場、お店や電車やエレベータなどの出入りでも同じようにしているでしょう。
そこには混乱はなく、皆が無駄なくスムーズに次の行動に移れるはずです。
不思議なことに、普段は譲り合いの気持ちなど意識していない人でも、
コンビニなどを出入りする時、後ろに誰かいれば
(もしくは反対からやって来る人が目の前にいれば)
ほとんどの人が、ドアをあけて相手を待つという動作をします。
それは習慣ですが、しかし、間違いなく相手の立場を思う行動でもあります。
ドアを開けて待ってもらって、たいていの人は『ありがとう』という気持ちになるし、
嫌な気持ちがする人はごく少数でしょう。
その小さな譲り合い・思いやりの気持ちを、
車に乗っている時にも、自転車に乗っている時にも、
同じように習慣にすることができれば、
世の中はずいぶん暮らしやすくなるのではないかなと思います。
また、小さな子ども達、自転車の学生のマナー違反も目に付きます。
一番に、大人がきちんとルールを守ること、
そして、一緒に車に乗っている時などに、
歩行者・自転車のどういう行動が車にとって迷惑で危険なのか、
どう行動してもらえると車は助かるのかを
機会がある毎に繰り返し話すことが大切だと思います。
交通マナーとは、思いやり・譲り合いが形になったもので、
それは決して人のためではなく、必ず自分に返ってくるはず。
毎日が、誰かに優しい気持ちを与え、
誰かからうれしい気持ちを受け取れる日だとイイナと思います。
高校生時代の3年間+会社勤めの数年間、
何の不自由を感じることもなく自転車を足としていた私ですが、
子どもに自転車に必要な交通ルールを教えるとなると、
判断に窮する場面に多々出くわします。
その一番の障壁は交通マナーの悪さ。
もちろん、ほとんどの方が交通規則をきちんと守った上で、
さらに相手側の行動を予測しての
譲り合いや思いやりのマナーを心得ている人ばかりなのですが、
時に思いがけない行動に、こちらも判断に迷ってしまうのです。
他人の心の動きを推測する能力(心の理論とも言います)が極端に低いという特徴を持つ自閉症。
その自閉症の彼が今まで上手に相手の行動を判断し、世間と渡り合ってこれたのは、
ルールと習慣を覚え、それに従ってきたからです。
なのに、交通マナーにおいて、
その土台となるはずのルールを守らない人が少なからずいる現実をどう教えればいいのか、
人それぞれに違う、どれほどの量のパターンを覚えさせればいいのか、思案し続ける毎日です。
毎日のように目にするルール違反。
赤に信号が変わってしまったのに,無理矢理突っ込んできたり、
ウィンカーも出さずに突然曲がったり・・・
間違いなく道路交通法を犯しているこれらのケースは論外としても、
直進車や歩行者・自転車などの優先順位を守らないドライバー。
傘を差してふらふら走行する自転車。
道路を横に広がり道をふさぐ歩行者。
駐車場からバックでいきなり歩道に飛び出す車等々・・・
法律はたくさんの人々が同じ自治体で暮らすための必要最低限のマナーです。
しかし、皆が気持ちよく過ごすためには法律を守っていればそれでよいというわけではなく、
法律の外枠にさらに大きなマナーがあるように思います。
日常生活で思いやり・譲り合いの気持ちを忘れない人は
交通マナーでも同じように相手に心地よさを感じさせる人だと思うし、
また、逆に、交通マナーを守る人は、日常生活でもマナーに気を遣い、
スマートに人間関係を進めている人なのではないでしょうか。
たとえば大きな道から脇道に入ろうとする場合、脇道から出てくる車を先に通すのがマナー。
それを習慣としてしている人は
おそらく教室や職場、お店や電車やエレベータなどの出入りでも同じようにしているでしょう。
そこには混乱はなく、皆が無駄なくスムーズに次の行動に移れるはずです。
不思議なことに、普段は譲り合いの気持ちなど意識していない人でも、
コンビニなどを出入りする時、後ろに誰かいれば
(もしくは反対からやって来る人が目の前にいれば)
ほとんどの人が、ドアをあけて相手を待つという動作をします。
それは習慣ですが、しかし、間違いなく相手の立場を思う行動でもあります。
ドアを開けて待ってもらって、たいていの人は『ありがとう』という気持ちになるし、
嫌な気持ちがする人はごく少数でしょう。
その小さな譲り合い・思いやりの気持ちを、
車に乗っている時にも、自転車に乗っている時にも、
同じように習慣にすることができれば、
世の中はずいぶん暮らしやすくなるのではないかなと思います。
また、小さな子ども達、自転車の学生のマナー違反も目に付きます。
一番に、大人がきちんとルールを守ること、
そして、一緒に車に乗っている時などに、
歩行者・自転車のどういう行動が車にとって迷惑で危険なのか、
どう行動してもらえると車は助かるのかを
機会がある毎に繰り返し話すことが大切だと思います。
交通マナーとは、思いやり・譲り合いが形になったもので、
それは決して人のためではなく、必ず自分に返ってくるはず。
毎日が、誰かに優しい気持ちを与え、
誰かからうれしい気持ちを受け取れる日だとイイナと思います。
Posted by イーオ at 21:59│Comments(0)
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